病気に負けない人になろう

病気になる理由

わたしたちは、をはじめ、おおくのこころからだびようかかってしまうことがあります。 びようかかげんいんはどこにあるのでしょうか。
だいしようにんさま
やまいこるいんねんかすに六り。一にはだいじゆんならざるゆえむ、二にはおんじきせつさぜるゆえむ、三にはぜん調ととのはざるゆえむ、四には便たよりをる、五にはしよ、六にはごうこるがゆえむ」(しよ 九一一㌻)
と、びようげんいんとして、てんだいだいの『かん』をかれて六つげていらっしゃいます。
一つは、からだのバランスをくずしてしまうことでびようになってしまう。
二つは、えいようかたよったしよくなどをすることでびようになってしまう。
三つは、ぶつどうしゆぎようただしくじつせんしないことでびようになってしまう。
四つは、わるおにはたらきによってびようになってしまう。
五つは、びようなどのはたらきでびようになってしまう。
六つは、「ごう」といってからのおこないによってびようになってしまう、ということです。
ごんぎようちゆうしんとしたそくただしいしんじんせいかつおくれば、 ほんぞんさまどくまもられて「おに」や「」にもけないし、こころからだげんになります。それでもびようになってしまうこともあります。それが、六つの「ごう」によるびようです。

病は発心のきっかけ

わたしたちはごろぶんおこなったことをすぐにわすれてしまうのでかくしていませんが、じつはそのむくいは、生命いのちにしっかりとまっています。ただしいどうくらいために、わたしたちはからのじようぶつさまたげとなるおおくのあくごうんでいて、そのむくいがしんしんあらわれたのがごうびようです。
だいしようにんさまは『みようしんあまぜんへん』に、
「このやまひはほとけおんはからひか。そのゆへはじようみようきようはんぎようにはやまいあるひとほとけになるべきよしとかれてそうろうやまいによりてどうしんはおこりそうろうか」(同 九〇〇㌻)
おおせです。
たとえびようになっても、あわてることはありません。ほとけさまわたしたちにぶつどうしゆぎようはげかいあたえてくださったとかくしんして、しんけんごんぎようしようだいはげめば、かならえられます。
みなさんも、しようねんたいかいなどで、おともだちのそういったたいけんはつぴよういたことがありますね。
もちろん、だいしようにんさまが、じようきん調ちようごうしたくすりふくようしてびようなおされたように、びよういんしんさつけ、はやりようすることはたいせつです。

病気に負けない信心

ぶつきようでは、わたしたちのこころしんぽう)とからだしきほう)はべつべつのものであるけれども、しかも二つで一つとかれています。からだはなれたこころはなく、こころはなれたからだはないのです。
だいしようにんさまは、『じゆういんねんしよ』に、
しんぽうじようぶつすればしきほうともじようぶつす」(同 56㌻)
おおせになっています。こころみがくためのぶつどうしゆぎようも、からだがもとです。
ほつにちによしようにんげいは、
ちようせきごんぎようをしっかりとおこなっていけば、そこからさまざまもんだいただしいかたちかならかいけつをしていくのであります。それが、ほんぞんさまだいなるどくであります」(だいびやくほう 八四三ごう
なんくださっています。
みなさんがかかえるびようやそのほかもんだいも、なによりもちようせきごんぎようをしっかりとおこなううことによって、かならほんぞんさまのもとでただしくかいけつすることができます。ですから、まいにちごんぎよう行・しようだいを、ふだんからしっかりおこなうことが、とてもたいせつなのです。
みなさんや、みなさんのおともだちまいにちげんごせるように、そしてびようけないつよこころになれるように、ほんぞんさまのすばらしさと、まいにちごんぎようしようだいたいせつさをつたっていきましょう。

— 大白法 第1017号