成仏、不成仏

令和六年三月度広布唱題会の砌

末代の衆生の成仏、不成仏は、罪の軽重によって決まるのではなく、その人の信、不信、すなわち信心があるか、ないかによって決まると仰せられているのであります。

つまり「以信得入」と仰せのように、信こそ成仏得道の要であります。 したがって、もし過去の罪障の軽重によって成仏、不成仏が決まるというのであれば、悪逆の提婆達多も阿闍世王も、その罪のあまりにも深いことによって、成仏することはできなかったはずであります。 つまり、爾前権教においては善根の者には成仏を保証するも、阿闍世王や提婆達多が如き悪人については成仏を許されなかったのであります。

しかし、法華経に至って「当位即妙・不改本位」と申して、過去に罪障を積んだ者でも、その身そのままの位で成仏することができたのであります。

ー中略ー

すなわち、本門戒壇の大御本尊様に対する絶対的確信を持って信行に励むことこそ、一生成仏のための最高至善の方途であり、大御本尊様の広大なる力用と信受し奉る我らの信心、一切を御本尊様に帰命し奉る強盛な信心があって、三世にわたる真の幸せを築くことができるのであります。

されば皆様には、大御本尊様への絶対的確信を持って、まず、本年立てた折伏誓願は必ず達成され、本年を悔いなく戦いきられますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。